拙僧、この山に籠って幾年になりましょうか。麓では人々が慌ただしく行き交い、数字を追い、会議を重ねている様子が、風に乗って聞こえてくるようです。今日は、経営という戦場に立つ皆さまに、古人が遺した四つの句をお伝えしたい。
生死事大(しょうじじだい)
生と死は、人にとって最も重い問題である。そう禅は説きます。
驚かれるかもしれません。経営会議で「生死」を語ることなど、まずないでしょう。しかし考えてみてください。四半期の数字、株主への説明責任、部下の評価——これらはすべて「いつか終わる命」を前提にして初めて意味を持つものです。
終わりがあるからこそ、今この判断が重い。終わりを忘れた経営は、際限なく先延ばしを重ねる経営になります。
光陰可惜(こういんおしむべし)
月日は惜しむべきものです。
金は失っても、また稼げましょう。しかし今日という一日は、二度と戻ってきません。
会議室で流れる一時間、部下の相談に応じる十分間、家族と交わす一言——これらはすべて、取り返しのつかない支出です。
拙僧はよく思います。時間ほど気前よく使われ、時間ほど惜しまれない資源はない、と。
無常迅速(むじょうじんそく)
すべては移ろい、その移ろいは速い。
これは一般論として申し上げますが、市場も、組織も、人の心も、止まってなどおりません。
「安定した経営」という言葉を、変化のない状態と誤解してはなりません。真の安定とは、変化に遅れず応じ続ける姿勢そのものです。
昨年の勝ちパターンにしがみつく者は、この句の前では立ち止まっているに過ぎません。
時不待人(ときひとをまたず)
好機も、人生も、準備の整わぬ者を待ってはくれません。
禅寺では、修行者が惰性に流れかけたとき、警策(きょうさく)と呼ばれる棒で肩を打ちます。痛みそのものが目的ではありません。眠りかけた心を、今この瞬間に引き戻すためのものです。
皆さまにとっての警策とは、あるいは市場の急変であり、あるいは信頼する部下からの一言かもしれません。
それを恐れず、むしろ有難く受け取ることです。
経営という場に置き換えるならば
この四句は、抽象的な人生訓に留まりません。
日々の意思決定に、静かに問いを投げかけてまいります。
先延ばしにしている決断は何か。
今の努力は、本当に目的に資するものか。変化を「例外」として扱い、対応を遅らせてはいないか——これらは行動経済学のような特定理論ではなく、禅という実践哲学からの問いであることを申し添えておきます。
一つの譬え
人生とは、残高の見えぬ銀行口座に、毎朝一定額が振り込まれるようなものです。
使わずとも翌日への繰越はできず、残高照会もできません。なかなか強気な銀行だと、拙僧はいつも笑ってしまいます。
急げという教えではない
ただし、一つだけ申し添えておきたいことがあります。
この教えを「常に急げ」という圧力に変えてしまえば、判断は粗くなり、周囲を疲弊させるだけに終わりましょう。
無常迅速が説くのは、慌てることではなく、重要でないことに命を使わないという選別眼です。
急ぐべきは決断であり、焦るべきは心ではありません。
結びに
いつかやる、を捨てなさい。
有限な時間を、何に投じるか。それを毎日、静かに問い直すこと。
それこそが、この四句が今日の経営者に遺す教えでございましょう。
まずは今週、あえて「やらないこと」を一つだけお決めなさい。それが、この教えを己の刀とする第一歩となりましょう。
合掌。
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